Castlemap

アクロコリントス

Acrocorinth · 🇬🇷 ギリシャ · 紀元前7世紀

アクロコリントス(ギリシャ)
写真: MM · Public domain · Wikimedia Commons

アクロコリントス(ギリシア語: Ακροκόρινθος、Acrocorinth)は古代コリントスのアクロポリスで、古代ギリシアのコリントスを見下ろす位置にそびえていた一枚岩の丘である。George Forrest は「ギリシャ本土で最も印象的なアクロポリス」だとした。アクロコリントスは古代から19世紀初めまで何らかの形で継続的に使用されてきた。防衛が容易な地形であるため、東ローマ帝国時代に要塞化され、テマ制におけるヘラス(ギリシャ)のストラテゴス(将軍)の居城とされた。第4回十字軍の際にはレオ・スグロスの指揮でジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアンの攻撃に3年間抵抗した。

その後アカイア公国の要塞となり、一時期東ローマ帝国が奪回したが、オスマン帝国に征服された。水が豊富でコリントス地峡を見渡す位置にあることから南ギリシャの最終防衛線の要塞として使われ、ペロポネソス半島に侵入してくる敵をはねつけた。三重の城壁が人の手で造られていた。頂上にはアプロディーテーの神殿があったが、後にキリスト教の教会に転用され、さらにモスクとされた。アメリカ合衆国の研究チームが1929年に発掘調査を開始した。現在、アクロコリントスはギリシャにおける重要な中世城遺跡の1つとなっている。

2世紀のパウサニアスが『ギリシア案内記』に記したコリントスの伝説によれば、ヘカトンケイルの1人ブリアレオースはポセイドンとヘーリオス(すなわち、海と太陽)の喧嘩を仲裁した。その仲裁とは、コリントス地峡はポセイドンのものでアクロコリントスはヘーリオスのものという決定だった。

城壁の内側にペイレーネーの泉がある。パウサニアスによれば、「その神殿の裏にある泉は、アーソーポスからシーシュポスへの贈り物だという。シーシュポスはゼウスがアイギーナを誘拐したことを知っていたが、アイギーナの父アーソーポスが捜しにきたとき、アクロコリントスに泉を作ってくれなければ教えないと言った」という。

ウィキペディア「アクロコリントス」より引用、CC BY-SA 4.0

アクロコリントスは、アトラスの城の知名度ランキングで世界197位(全8,131件中)、ギリシャの134件では8位にランクされています。約紀元前700年に創建され、アトラスの年代判明済みの城の99%より古い城です(紀元前7世紀に創建されたアトラス収録の5件のひとつ)。 Wikipediaの記事は直近60日で17,035回読まれ、アトラス収録の96%より多くの読者を集めています。半径25キロ以内にはアトラス収録の城が2件あります。最寄りの日帰りガイドは76キロ先のアテネです。地域別マップ「ペロポネソス半島」に収録された35件のひとつです。ギリシャが他とどう比べられるかは、城の統計をご覧ください。

インタラクティブ地図で見る →

ウィキペディアで全文を読む ↗

よくある質問

アクロコリントスはどこにありますか?

ギリシャにあります。座標は37.89142°, 22.87092°です。

アクロコリントスはいつ建てられましたか?

アトラスが記録する創建は約紀元前700年です。これ以前の建造物が存在した可能性もありますが、これは記録に残る最も古い創建年です。

アクロコリントスはどれくらい有名ですか?

このアトラスの知名度ランキングでは全8,131件中197位(ギリシャでは8位)です。知名度は、ウィキペディアの言語版の数とその閲覧数を組み合わせた指標です。

アクロコリントスに最も近い城は?

獅子の門です。約20 km離れています。

ギリシャのその他の城

その他の城